So-net無料ブログ作成

「例年通り」 [超個人的感想]

言うまでもないが、教員の仕事は授業ばかりではない。

最近は、校内の片付け、片付けのための設計図面作成、合宿の引率など、多岐にわたる仕事をしていた。やり出したらきりがない、膨大な仕事だ。それで少し更新が滞ってしまった。その際に思うことを書いてみよう。

雑用をしながら思ったことは、教員の仕事は「例年通り」の仕事が多い、ということである。したがって、例年通りの仕事をしていさえすれば、批判されることはないということである。したがって、ここ1ヶ月で取り組んできた進歩的な雑用の仕事は、ここ10年ほどしていなかったことであり、たまたまそこに居合わせた私が整理したということに過ぎない。

教員の仕事は基本的には同じことの繰り返しである。1年に1度、同じ単元に触れて、同じような授業をすれば批判されることはまずない。もちろん、そうでない人もたくさんいるが最小限で言えば、「例年通り」で成立する。クリエイティブな仕事と言われると、よほどの意欲がないと新しいことに挑戦することは難しい。そういう気概を持っている人は、変化を望まない人間に見事につぶされるしまうのだろう。でも、一部の人間はそれに果敢に挑戦して、変化を実現していく。でも、それは面倒くさい。面倒くさいからと言ってやらないと滞ってしまう。難しいところに挑戦するというのが私の役どころらしい。そして、別の担当者に替わったら、私の替えたところにまたあぐらをかいて例年通り進んでいく。まあ、そんなところか。

最近、他校のいろいろな先生と話をしながらふと思ったこと。他の業界と比較すると、変化を望まないという意味において、学校という社会は保守的ど真ん中なのだろうな、と思う。


進歩的な仕事をしようとする人は、この仕事には向いていないのかもしれない。

私は私で今やっている仕事で歴史的快挙?を達成しまくっている?らしい。今日も開校始まって以来の快挙を成し遂げてしまった。
nice!(19)  コメント(2) 
共通テーマ:学校

生徒会執行部、後期の活動へ [超個人的感想]

今年度は生徒会の顧問をしている。他校との生徒会執行部の交流と成長を目指した合宿を企画してくれる場所があり、大変感謝している。

生徒会は、ほとんどどこの学校にも存在し、それぞれがそれぞれの進化を遂げている。放置しておくと、独自性が進むとガラパゴス化してしまう。もっと効率的な、効果的な方法はないのかということで考えるにしても、比較するものがなくなってしまう。そのようなことにならないように、生徒会が時々どこかに出かけ、交流を行うことは意義あることである。

一方で、生徒会の生徒が立候補する生徒が少ないことが悩みの種である。生徒会が開かれたものになり、楽しいと思わないと、生徒会活動自体がやる生徒が居なくなり、結果活動が停滞する。生徒会活動をしてくれる人自体が少なくなっていることもあるので、そういう意味でも、楽しいことがあるという思いになってしまわないと厳しい時代になってきたものだなと思う。何でも『楽しい』と思うような仕掛けが今は大切なようだ。

勉強しかり、部活動しかり、生徒会しかりである。
nice!(10)  コメント(0) 
共通テーマ:学校

「自分で考えろ」がより鮮明に [超個人的感想]

録画していた番組を見た。NHKスペシャル「ホームラン新伝説~“怪物球児”ドラフトへ~」という番組で3人の高校生がどのような境遇で野球に取り組んでいるのかという番組であった。その番組の切り口の中に、彼らがどのような育ち方をしてここにいたったのかということが含まれていて、非常に興味深かった。

大きなテーマが表題の通りだったように思う。番組を制作する側は、当然大人の目線なので、形から入る従来のやり方が変わっていたことに少なからず驚きをもって報じた。

そう、その違和感は、現場の教員も同じだ。

従来のものを教える、ものを学ぶでは、うまくいかないことがでてきた。これまでは、どちらかといえば、上と下の関係で学ぶということを行ってきた。指導者イコール上、生徒イコール下。そこでこういう場合にはこうしろというスタイルである。しかし、時代は変わり、横のつながりで考えるというか、違いをもって成長を促すということで英才教育をしていくというのが、どうも一つのスタイルとして確立してきているらしい。もちろん、相変わらずの指導者もいるが、横のスタイルで学んでいきましょうというスタイルの教育の番組をみることに、違和感を持つ教員は年齢が高いほど多いように思う。

かといって、有能な指導者の中でも、相変わらず形から入っている場合もある。
形から入って、そこから自由を学ばせるのも一つの方法。しかし、「枠にはめてしまうと、考えない人間が育ってしまう」ということであった。それは言える。最初から形にとらわれずに育てていって、そこから枠にはまらないように育てるのも一つの方法ということも紹介されていた。

どちらがいいのかは正直よくわからなかったが、ある程度上を目指させるとしたら、枠にあてはめないというやり方があるということを知った。例えば、目標になる人を決めてしまうと、その人以上になるような成長は見込めない、ということらしい。

形にあてはめて指導するのはある意味易しい。それぞれに合わせて指導するほうが難しい。「教師がそういったから」と指導者に責任を押し付ける方が生徒にとってもやりやすい。そうして世の中の優等生は評価されてきた。案外、優等生と言われる生徒たちは自分で考えられない生徒が多い。そういう生徒にとっても、「自分で考えろ」といわれるのは、要求が高いと感じることだろう。考えさせる指導というのは、逆の言い方をすれば、だめなら自己責任を厳しく問うことになる。

また、何かを強制することで、生徒の個性をつぶしてしまうということは、今の社会ではよく思われてはいない。指導者も熱くなりすぎて生徒に過剰に当たることが問題だといわれることもある。思いが過剰すぎて空回りすることもあるかもしれない。指導者と生徒との距離感が適切であることが大切なのだろう。熱すぎるのは時代と逆行してしまう。むしろ穏やかに、自己責任を問うことを積み重ねていくという指導になっていくのかもしれない。そういう意味では熱血指導はもう古いのか。いずれにしても、示唆に富んでいる内容だった。


この番組を見てからしばらくこのことについて自問自答していた。時代は人間がAIにとってかわられるかもしれないという話題が出ているくらいだ。「自分で考えられない」人間が、この世の中では淘汰されるのだとしたら、生徒時代に自分で考えることを放棄し続け、「言われたことしかできない」人間に出来上がってしまったときには、究極の自己責任を負わされる(コンピュータ以下の存在価値しかないと言われてしまう)世代なのかもしれない。

そう考えたら、今の生徒たちは、結構大変だ。
nice!(11)  コメント(0) 
共通テーマ:学校

チャンネルごと録画ビデオで生活が変わる [超個人的感想]

チャンネルごと録画してしばらくは見られるデッキを買ってみた。すると、あらかじめ録画しなくても困らなくなった。それまでは気合いを入れて番組表を見て、整理していった。

ところが、今度はその必要がない。ないといっても、それまでの習慣は保っているが、今度からは、番組が放映されたあとに良いと評価された番組を見ることができるようになった。するとテレビ依存度が上がる。

テレビ世代の私からいわせても、最近のテレビ番組のクオリティーは下がっているが、なんだかんだいってみてしまう、このデッキは悪魔の機械かもしれない・・・。

とはいえ、やっぱり便利だわ、これ。
nice!(13)  コメント(0) 

表現したいことがあるかどうか [超個人的感想]

情報の授業でプレゼンテーションをすることになった。生徒たちはある程度の枠組みの中で自分を表現しなければならない。

技術から入っている私からすると、実はこれが一番難しいかもしれない。自分の何を表現したいのか、何を言いたいのかということは簡単に教えられるものではないからだ。手法は教えることはできても、自分とはどんな存在なのかを教えるということは簡単ではない。

近いジャンルは芸術の授業の中にある。特に美術や図画工作のようなものである。この形を作れということであれば、真似すれば良いが、自分で考えて作れといわれると、なかなか簡単ではない。要するに自分に表現することがない者にとっては、これ以上辛い時間はない、ということなのだろう。

基本的な技術はある、基本的なノウハウはある、次の段階として、自分は何を伝えたいのかということがある人なのか、ない人なのか。案外偏差値が高い人に限って、表現したいことがない場合も多い。言われたことを実行する能力は高くても、何か道を切り開く主張のようなものが弱い。どこかのタイミングでその力が備わることもあるだろう。そこに期待しながらまずは形からということで、まずはプレゼンテーションの1つの形を提供する授業を展開した。

与えられたことを再現することだけではない、自らがどう表現していくのか。その表現する題材があるのかないのかによって、これからの人生の切り拓き方が変わってくるような気もしている。こういう分野になると大きな可能性を見せる生徒もいる。人間って奥深い存在だと思う。
nice!(15)  コメント(2) 
共通テーマ:学問