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寝なければ、成績は上がるものなのだ [教科(数学)指導者として]

今年度はアクティブラーニング型授業に取り組むべく、日々精進している。ただ、年間を通しての取り組みにするべく、形はそれなりに保ちつつ、現状とのすりあわせをしながら進めるため、まだ確立したとまで言えないのが実情である。

対象がフレッシュな入学したての1年生であること、内容が中学校の復習から入っているからということもあるのだろうが、今のところ、とりあえず寝ない。

アクティブラーニング型授業の最大のメリットは、浮きこぼれも落ちこぼれもとりあえず「寝ない」ことにあるように思う。寝ている時間がないほどに追われていると言うことになっている。ある程度勉強ができる生徒も寝ない。けっこうなことである。

逆のいい方をすると、日常、寝ている生徒の何と多いことか。休憩しているのだから、成績が上がるはずもない。当然のことを改めて確認した。

勉強というくくりの中では、小学生や中学生でも寝ないのに、なぜ高校生になったら急に寝るようになるのだろう・・・いつの頃から兼ねるようになるのか、こういった統計データを取ってみるのも、良い研究になると思う。すでにあるようにも思うが・・・。
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副教科の存在意義 [超個人的感想]

これまで数学という教科を教えてきて、俗に言う副教科の授業も担当することになった。これまで通り数学を、数学は単位数が多いので余った単位で情報を、というわけでもないのだろうが、新しい科目を教える中で、日々緊張感のある生活を送っている。

教えて思ったことは、数学と情報では、生徒の気持ちが相当違うらしい、ということであった。受験科目である数学はそういう意識がどこかにあるのだな、と改めて感じた。大して、情報は、教養を身につけるという意味合いが強く、これから生きるために必要なことは何か、を学ぶという側面もある。高校数学程度であれば、それも教養だ、といわれたらそれまでの話だが。

情報で何を学ぶかというイメージとして、excelとwordを学ぶという印象を持っている方も多いと思うが、学校によってはそちらを大きく取り上げるということもあるかもしれないが、基本はそうではない。情報のモラルのこととか、コミュニケーションのあり方とか、もうちょっと幅が広いのである。どちらかというと、保健や家庭科の方のイメージが強くなるかもしれない。

進学校にとっては、この担当の先生方は肩身の狭い思いをしながら教えているのかもしれないが、それでもこの教科は必修だから、高校を卒業するためには必ず学ばなければならない。教養として学ぶ教科をどう教えるか、社会での必要性、これからの社会を見据えた指導など、こちらの意図をふんだんに入れた授業も可能である。

副教科がなぜ必修ななのか、存在する意味を突き詰めれば、教育の意味に突き当たるのかしれないと思う。

マセマの合格シリーズを読んで思ったこと [教科(数学)指導者として]

マセマの合格数学Ⅰ・Aを読んだ。生徒もこの参考書シリーズをよくやっている光景を見かける。

生徒が購入するのには何らかの理由があると思ったので、問題を解くまではまだしてはいない。

読んで思ったことは、マセマの合格シリーズでいえば、この冊子には本文内に書かれた問題しかない。青チャートをしたばかりの私からすると、例題があって練習問題をするという流れにはなっていないが、どっちがいいのかな、とふと考えた。

とはいえ、青チャートも例題のみ行うというスタイルで勉強をしている人も少なくないようだ。十分いいのだと思う。青チャートとマセマの合格シリーズとはそもそも参考書のコンセプトが違うわけだから、比較するのも変な話である。

この手の参考書の生命線は、「選題がいいか」に尽きる。選題はいい。与えられた紙面の中に上手に内容を入れなければならないのだが、そのへんも上手に入っている。さすがだ。したがって、この例題というか本文の問題を隠して取り組んで、わからなかったら本文を読みさえすればいい勉強ができると思う。青チャートの重要例題や4STEPの発展と同じような問題もあるけど、総合的にみると難易度は「やや上」かな。

マセマの合格数学Ⅰ・A


時間があったら、この問題集の方も見てみよう・・・。
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新年度の仕事 [勤務校関連]

生徒会顧問になった。数年前にやってから久しぶりの生徒会顧問でリハビリが必要で、生徒に迷惑をかけているが、なんだかんだ充実した日々を送っている気もする。

時間割からのギャップは凄まじいものがあり、パソコンに向かってひとりごとをいう毎日から、生徒に対して言葉を発する毎日になった。どちらが健康的かと言われれば、答えは自明というものである。教員なのだから、そうでない方がおかしい。

早速、新入生歓迎会、生徒総会、学校祭の話し合いなどが目白押しで、スケジュールに乗っかって仕事をしなければならないが、そのスピードについていけていないが、もうそろそろついていかないとまずい。

当たり前だが、一方で授業も始まるわけで、普段からきちんと準備しておかなければならないのだが、なにせ、新しい科目を教えるということで、てんやわんやだ。気持ちの切り替えが悪いと、こちらの方の準備が追い付かない。雑用に追いたてられて授業の準備に専念できないのが受け入れられないような人にとっては、学校の教員という仕事は向かないのだろうな、と改めて思う。この時期の学校は「雑用祭り」である。まあでも、そう生活をしている限り、世の中の学校は、塾や予備校を超えたクオリティーの授業を行うことはよほどの各々のスペックがないと難しいだろうな。

複数の仕事を同時並行的に行うって、能力が必要なのだな、という当たり前のことを考えながら1日を過ごすのが精いっぱいの日々が続く。でも、なんだかんだ充実しているんだな、という気持ちが大きい。

「時間割担当は、精神的に2年間が限界である」と知り合いの公立の先生が話しているが、それはそうかもしれないな、と思った。複数人数でやればそういうことでもないのかもしれないけど。少なくとも私にはダメな仕事であったということだ。
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何が教科として残るのか [教科(数学)指導者として]

新しい年度がスタートした。持ち単位数も増え、授業もずいぶん増えて、ようやく授業実践ができそうな感じになってきた。そっちの方が性に合っているので、良いことだと思っている。

ずっと3年生の授業担当が多かったので、今年度はどうなるのかということで言えば、久々の下級生の授業となった。これで、下級生の段階でこんな授業をやっておければ、という思いを実現できる機会が得られそうだ。

という一方で、新しい科目の授業が入ってくる。教科情報である。免許を取ってみたものの、それを使う機会がなかったので良かった。タイミングがあると思ったので、これについても良い勉強をしていかなければならない。

そもそも、すべての授業のコマが異なるというのは、授業のクオリティーが下がる可能性があるので、あまり好ましいことではないと思いつつ、私学の先生はきっとその傾向は多いのだろうと思う。コースがいろいろあれば、どうしてもカリキュラム上、異なる科目をせざるを得ない。そこが辛いところではあるが、良い経験として新しいものを想像していきたいものである。

その延長線でふと考えてみたことがある。100年後の学校はどのような授業構成をしているのだろう。そもそも学校の形態が今とは違っているような気もするが、学校ではこれもやりたい、あれもやりたいという内容が非常に多く、ある種の場所取り合戦のようなことが起こっている。例えば「受験に関係がない芸術はなくしても良い」という意見があるかもしれない。芸術の教科は残るのだろうか。そして、昨年度私が取得した教科情報の免許を取ったものの、学習指導要領から消えるのでないかと心配していた。世の中の流れはむしろ「プログラム教育」の必要性の話に進んでいる。このように、世の中では何が必要で何が必要でないかという話が出たり消えたりしている。この場所取り合戦が今と100年後が同じとはとうてい思えない。一体何が残るのか。ともすれば、根性論の方々が「全部やれ!」と言ってしまうかもしれないが、それは限られた時間の中では無理というものである。となれば、一体何が残るのだろう。国語、数学、英語は主要3教科なのだろうか。それすらも危うくなっていくように思える。100年後には私は影も形もないだろうが、何が大切で何を優先とするのか、多様化していく社会の中で、選択は難しくなるだろうな、と考えてしまった。
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